ファミ通にて、風のように永田(永田泰大)氏が書いた
ゼルダの伝説レビューとポケモン体験記の保管庫
このような形で他人の書いた文章を無断で転載することは、著作権云々の関係でいろいろ問題のある行為であることは重々承知しておりますが、この素晴らしい文章をより多くの人が見られる形で保存するためにここに掲載いたしました。
もちろん風のように永田(永田泰大)氏やファミ通編集部に迷惑をかけることは私の本意ではありませんので、もし編集部等から抗議を受けた場合には即座にこのページを削除いたします。
・「ゼルダの伝説 時のオカリナ」インプレッション (Text by 風のように永田)
・45分間の疾走 〜地下鉄から始まった騒ぎの顛末〜 (Text by 風のように永田)
「ゼルダの伝説 時のオカリナ」インプレッション
『ゼルダの伝説 時のオカリナ』について正面から書くことはとても難しい。たとえば何について書くだろう。どの感動を記すだろう。システムだろうか。演出だろうか。宮本さんの発言を引用しようか。個人的なエピソードを挙げようか。ゲーム史における役割について分析しようか。絶妙謎解きからゲーム本来の楽しさについて言及しようか。画期的なインターフェイスについて、あるいはユニークなキャラクターについて、もしくはゲームとぴったり寄り添いその世界を豊かに潤わせる音楽について。言葉はあふれだすが本流を持たない。限られたなかで魅力を述べるなら、”筆舌に尽くしがたい”とでもいうしかない。『ゼルダ』について書くということはとても難しい。
だが、強い思いは体裁を顧みず滲み出てくる。日々遠のきつつある『ゼルダ』からの距離、数字のみで語られる『ゼルダ』への評価、斜に構えた『ゼルダ』評に反して盛り上がる『ゼルダ』談義。だから僕は『ゼルダ』について書こうと思う。忘れないうちに、矢も盾もたまらず筆舌を尽くそうと思う。たぶんここからには、僕が『ゼルダ』を好きだということ以外何も書かれていないし、ある意味批評的な側面すらない。つまりこれは、真夜中に書かれた手紙のようなものでしかないのだけれど、僕はそれを投函しようと思う。おそらく、僕はそれを後悔しないと感じるのだ。
たとえば僕はハイラル平原が好きだ。どんよりとしたコキリの村から「ヴァン!」というテーマとともに初めて平原に飛び出したときの鮮やかな黄緑色が好きだ。草を刈るのが好きだ。ことにハイリア湖あたりの草むらの中央に歩いていって回転切りで一気に刈るのが好きだ。壺を割るのも好きだ。どちらかというと斬るより壁に投げて割るのが好きだ。スタルチュラのカサカサいう音が好きだ。ニワトリを持って滑空するのが好きだ。ハートのかけらが4つそろう瞬間が好きだ。ダンジョンで宝箱を開けるとき「どうかマップでありますように」と祈る一瞬が好きだ。森の神殿が好きだ。ことにあの廊下は実際に見た瞬間鳥肌が立ったぐらい好きだ。燃えながら飛んでくるコウモリは嫌いだが撃ち落すのは好きだ。光のプレリュードが好きだ。炎のボレロも覚えやすくて好きだ。シークが新しい歌を教えてくれるとき画面にボタンが表示されるのに一生懸命暗記しようとするのが好きだ。イベントでのムービーがゲーム画面と滑らかに繋がっていて好きだ。ドアを開けるムービーひとつとってみてもさまざまな角度からのカメラワークが計算されていて好きだ。こんなにも映画的な演出を含みながらメッセージは冗長ではなくて好きだ。変なメッセージも好きだ。「いいよ、やんなくても」とかもう、好きだ。「今日は寄り道の日」とか決めて何時間も釣りしたりするのが好きだ。水のダンジョンの地下にあるカギが見つからなくてもう、好きだ。自分で作曲したカカシの歌が我ながら好きだ。大妖精が好きだ。井戸のかび臭さが好きだ。ダニエルの踊りが好きだ。ナボールのたくましさが好きだ。ゾーラ族のガシャポンがよくできていて好きだ。水や炎の表現が好きだ。雲や空はもっと好きだ。朝、空を見上げて紫の雲が美しくたなびいているのを見てハイラルを思い出すのが好きだ。『ゼルダ』をやるまえにコーヒーを入れたり灰皿を側に寄せたりするのが好きだ。つぎの日にダラダラと『ゼルダ』談義するのが好きだ。人の失敗談が好きだ。先の話を聞きたくなくて慌てて席を立つ人が好きだ。夫婦で買って別々にプレーしたためクリアーまでほとんど別居状態だった友人夫婦が好きだ。年末九州に帰省した僕の携帯にわざわざ電話してきて質問する永野さんやルパンが好きだ。『ゼルダ』がイマイチ編集者に向かってなかば怒りながら説明している加藤さんが好きだ。「『ゼルダ』ができる時代に生まれてよかった」と大マジで言った石井さんが好きだ。釣り堀のオヤジの帽子が取れることを嬉しそうに報告に来た佐々木が好きだ。バック転を駆使して子供時代には取れないはずのスタルチュラを強引に取る間々田が好きだ。「マラソン男には勝てないようです」とまわりに聞こえないように耳打ちしてくれるモゲが好きだ。「ポゥをのむとポゥの味がする!」と独自の説を主張していた内沢さんが好きだ。編集部で『ゼルダ』のROMが紛失したとき「『ゼルダ』を好きなヤツに悪人はいない!」と言い放った西山が好きだ。大人になっても99ルピーしか持てなかった針生と、仕事中に何度も電話してきて質問する針生の彼女が好きだ。あるボスをビンで無理矢理倒してしまった長田はバカだなあと思うが好きだ。オープニングが好きだ。エンディングが好きだ。ゼルダ姫のせつない表情が好きだ。ガノンドルフの笑いかたが好きだ。走って落ちてオカリナ吹く左利きのリンクが好きだ。
やっぱり、言葉はあふれて本流を持たない。そして何かを好きだと表わすことはとても難しく、とてもとても恥ずかしい。しかし、それらの体裁を顧みず滲み出る強い思いを信じずして何を信じるというのだろう。僕は『ゼルダ』が好きだ。僕は、『ゼルダ』が好きだ。
風のように永田(大妖精!)
P R O F I L E
ゲームの話をすることで有名な本誌編集者。3ヵ月のあいだに『ゼルダ』
とXTCの新作が両方出るという軌跡に驚喜する。どっちも7年待った。
(出典:ファミ通 1999年 4/2 通巻537号)
45分間の疾走 〜地下鉄から始まった騒ぎの顛末〜
Text by 風のように永田
第一章 遭遇 〜東急新玉川線〜
99年12月2日13時30分、東急新玉川線の中央林間行き急行が定刻通り渋谷駅を離れた。動き出した電車の中で、僕はドア脇の手すりにもたれかかっていた。
いつものようにバッグからゲームボーイカラーを取り出し、電源を入れてスタートボタンを連打する。画面に『ポケットモンスター金』のロゴ。ええと、どこまで進めたっけ。
主人公は黄金シティの地下通路入り口にいた。まっすぐ歩くと、通路にいるトレーナーがバトルを挑んでくる。僕はバトルが始まるとすぐにアンノーンをサンドと交代させる。さほど苦労なく勝利し、再び地下通路を進む。ほかのトレーナーがまたバトルを仕掛けてくる。僕はさっきと同じようにアンノーンを引っ込めてサンドを出す。そして、少しだけいらつく。育てたいモンスターを最初に出しては引っ込めるという前作から変わらないこのシステムを僕は少なからず煩わしく感じていた。
僕が前作の『ポケモン』を始めたのは発売からかなり経ってからだった。
売れ続ける『ポケモン』がちょっとしたブームになり、どうやらこれは一過性のものではないぞ、と皆が思い始めることだったように思う。とにかく楽しそうなことには首を突っ込むことにしている僕は、小学生たちが夢中になってる楽しさってなんだろうと期待しながら前作を始めた。
しかししばらくプレイして僕が下した評価は、”丁寧に作られたふつうのRPG”の範疇を超えるものではなかった。
もちろん、当時僕のまわりに僕と同レベルで『ポケモン』をプレイしている人がいなかったせいもある。交換や対戦といった『ポケモン』の醍醐味を、けっきょく僕は垣間見ることがなかった。そして、それがあればきっと楽しいだろうと予想しながらも、煩わしいバトルや、ユーザーフレンドリーとは思えないインターフェイスや、収集と進行のどっちつかず感などにストレスを感じながらゲームを進めていた。
中途半端に集まったポケモンたちは、純粋に絵としてあまり好みではなかったし、スタンドアローンの状態でいくら強そうなポケモンをつかまえても、心から「ゲットだぜ!」と喜ぶことはできなかった。
そして20時間あまりプレイしたところでセーブデータが消失し、僕はそれっきり『ポケモン』をプレイすることがなかった。
黄金シティの地下通路でふたり目のトレーナーに勝利したあと、さらに進んでコインケースを拾った。僕は前日までのプレイを思い起こしながらつぎの行動を思案する。
どうやら、この地下通路は結構長そうだ。そのまま進んでもよかったのだが、ちょっと引っかかっていることがあった。地下通路に入る直前、以前バトルしたトレーナーから”新しいポケモンを捕まえたからもう一度バトルしよう。34番トンネルで待ってる”とメッセージが届いていたのだ。
過去の経験上、おそらくそのトレーナーを見つけてバトルするだけのイベントだろう。ならばそれを終えてからあらためてじっくりと地下通路を進んだ方がいいのではないか。行き止まりの支流を潰したのちに、じっくりと本流を進めたいと感じるのはゲームファンとして当然の心理だ。僕は地下通路を進むことを中断し、34番道路に戻ることにした。
思ったとおりトレーナーとの対戦はすぐに終わった。せっかく来たしというわけでもないが、そばにいるトレーナーに話しかけてみたりする。別に新しいイベントが発生した様子もない。
ウロウロしていると、草むらでエンカウントした。それは、初めて見るケーシィというポケモンだった。
前述したように、僕は『ポケモン』に関する知識はあまり多くない。以前発売された『ポケモンスナップ』はかなり気に入ってプレイしたので、そこに登場したポケモンたちのことは愛情を持って覚えているが、それ以外のポケモンについてはほとんど知らない。ともあれ、まだ捕まえたことのないポケモンだ。
僕は体力を削ろうと攻撃を仕掛けた。だが、直後にケーシィはテレポートを使って逃げてしまった。
「?」。そういうポケモンなのかなと、思いながらふたたび歩く。そして、再びエンカウント。
出てきたのはやはりケーシィだ。僕はレベルの低いアンノーンを引っ込めて、いくらかす速いサンドを出そうとする。しかし、またしてもケーシィはテレポートしてしまう、間違いないケーシィはそういう特性を持つポケモンなのだろう。思案するとすぐに思いつくことがあった。いまパーティにいるゴースが”くろいまなざし”という特技を覚えている。これはバトルのあいだ敵のモンスターを逃げられなくする技だった。
なるほど、僕はメニューを開き、先頭をアンノーンからゴースに変えた。そしてエンカウント。画面が切り替わり、バトルシーンとなる。画面左から滑り込んでくるポケモンのシルエットでどのポケモンが現れたかはだいたいわかる。
ケーシィだ。そして次の瞬間。
「―― あれ?」ドキリとする違和感が僕を貫く。画面右に姿を落ち着けたケーシィの中央付近に白っぽい線が走り、クルリと丸い円を描いた。そしてその円が消える瞬間、キラリ、と星が光った、ような気がした。
『ポケットモンスター金・銀』では、恐ろしく低い確率で通常とは異なるレアなポケモンが出現する。
その確率の低さと、攻略記事に絶対写真が必要であることなどから、ファミ通編集部では色違いのポケモンを見つけた最初の3名に賞金が出ることになっていた。もちろん言い出しっぺは大の『ポケモン』ファンである浜村編集長である。わかっていることは3つだけ。極めて出現確率が低いこと。色が違うこと。性別マークの横になんらかの印があること。それだけだ。編集部全員にメールが届き、『ポケモン』班はもちろん『ポケモン』をプレイしてる編集者全員が色めき立っていた。しかし、発売日を10日過ぎても誰も捕まえることができなかった。
編集部一のやり込みゲーマーである間々田は、最初にもらえるモンスターが色違いであると推測し、ウツギ博士の研究所でセーブして、プレイ&リセットをくり返している。従って何時間やろうと間々田のプレイ時間の表示は1分のままである。同じくやり込み派のひとりである豊田は、玉子がかえる直前にセーブしたり、つれているポケモンの数を変えたり、考え得るすべての仮説を試しながらプレイ&リセットをくり返している。
それでも見つからない。1週間が過ぎたころ、唯一の遭遇例が報告された。『ポケモン』班の井出が遭遇したのだが、彼はそのときモンスターボールを2個しか持ってなかった。しかも攻略用に進めていたため、つれていたポケモンをレベル100まで上げたポケモン一匹のみ。攻撃力がありすぎたため、体力を削ることもできず、ばくちで2個のモンスターボールを投じてみたものの、けっきょくその色違いのポケモンをつかまえることはできなかったという。編集部にレアポケモンとの遭遇を報じる井出のメールが回ったとき、そこには井出が見たレアポケモンについての新たな情報が書かれていた、そして色違いのポケモンは登場するときに星を纏っていた、と。
星を纏っていた?
僕は液晶画面を凝視する。色が違うのか? しかしわからない。何せ僕は、ケーシィというポケモンを見たのは今日が初めてなのだ。しかもレアポケモンの色の違いはごくわずかと聞く。これはレアポケモンなのか?
しかし、明らかに星は光っていた。それは残像として思い起こすことさえできる。見間違いだとはとても思えない。
だとしたら、どうする。しかもこいつはどうやら出会ってすぐにテレポートする体質を持っている、らしい。
逡巡する。感謝すべき偶然は、直前、ゴースに変えていたことだ。おそらく、まずは”くろいまなざし”を使うのがベストなのだろう。初手がそれであることはいかに『ポケモン』歴が浅い僕でも知ることができた。しかし、そこからどうする?
13時32分、電車は池尻大橋の駅を通過した。
第2章 逡巡 〜世田谷通り〜
液晶画面を見つめたまま僕は、昨日喫煙室で、色違いのポケモンを逃した井出と、『ポケモン』班のチーフである大宮さんと話したときのことを思い出していた。
何度となく語ったであろう、そのエピソードを井出が僕らに話したあと、大宮さんは井出に言った。
「なんで逃がす前にオレにみせなかったんだよ、画面を直接カメラで撮ることもできたのに」。
それを聞いて井出は「そおかぁ」と悔やみながらつぶやいていた。
「イチかバチか、で行っちゃたんですよねぇ・・・・・」。
僕はそのときの井出の気持ちを容易に想像することができた。
以前『パワプロ』の特集をしたとき、僕は井出の凄まじいやり込みぶりを目の当たりにした。井出は、どんなに高くてもそこにハードルさえあれば、それを超えるための努力を厭わない。ゲーマーというのはそういうものだ。それはある種天性であり、明らかに僕に欠落している部分である。井出のプレイを見たとき、「ああ、こいつはゲーマーだな」と軽い憧憬とともに思った。たぶん、井出が2個のモンスターボールを投じたとき、彼には成功するビジョンしか見えてなかっただろう。
ゼロではない可能性が見えたとき、そしてそれ以外に選択肢がないとき、ゲーマーはためらわずそこに身を投じる。そこに逡巡はない。おそらく井出にとって、レアポケモンとどう出会ってつかまえたかというような過程はほとんど意味をもたない。それは、プレイ&リセットをくり返す間々田や豊田にとっても同じことだろう。色違いのポケモンをつかまえたのか、つかまえてないのか。その結果がすべてなのだ。
「”編集者井出”より、”ゲーマー井出”が勝っちゃったんだよね」。
僕がそう言うと、井出はきょとんとしていたが大宮さんは「なるほどね」、と言って笑った。数々のゲーマーを部下に持つ大宮さんもまた、僕と同様にゲーマーになれない非ゲーマーであるのだ。
三軒茶屋や向かう電車の中で僕は逡巡を続けていた。そもそも”くろいまなざし”がケーシィのテレポートよりも先に決まるという保証はあるのか。レベル16のゴースと、レベル10のケーシィは、どちらがす速いのか?
そういった、ゲームの中のだいたいの感覚を僕はまだつかんでなかった。圧倒的な知識の不足。極めて低い確率を引き当てていた千載一遇のチャンスに、僕は自分で決断を下すことができなかった。
僕は逡巡なく身を投じる器をもってなかった。僕はゲーマーではないのだ。僕は腹を決めた。
このまま編集部まで持って行こう。編集部には、僕を補ってくれる頼もしいゲーマーたちが何人もいるのだ。
そう考えると心が軽くなり、僕は俄然ワクワクし始めた。彼らはどんな顔をするだろうか。つかまえてうまく記事に反映できるといいけど。
まるで、でっかいクワガタをつかまえた子供みたいに、僕は電車が三軒茶屋の駅に着くのを待った。しかし、ゲームボーイを握りしめてワクワクしていた僕は、あることに気がついて愕然とした。
・・・・・電池が切れかかっている。電池の残量を示すゲームボーイの赤いパイロットランプは明らかに当初の輝きを失っている。
真っ暗ではないにせよ、鈍くちらつくその赤い光は、僕を狼狽させるに十分なものだった。再び僕は迷い始める。やはり捕獲を試みるべきだろうか。たぶん電池はまだ持つ。だが、三軒茶屋から編集部まで15分はかかる。
その間、電池は持つだろうか。パイロットランプがどのくらいの明るさになったところでゲームがリセットされるかは、個々のゲームによって異なる。ソフトが消費する電力によって何回か電池切れを経験すれば、その感覚はだいたいつかめる。
たとえば去年僕がずっと遊んでいた『ドラクエモンスターズ』であれば、電池はまだ持つ。だが、僕はまだ『ポケモン』で電池切れを経験したことがない。この電池は、どのぐらい持つのだろう? ここで失敗しても、ちょっとした笑い話になるじゃないか、と楽観的な重いが頭をよぎる。が、瞬時にそれをうち消す。無造作に決断してこのケーシィを逃がしてしまうのは、井出や、間々田や、豊田に申し訳ない気がした。その資格は僕にはないと思った。
彼等は失敗する瞬間を周囲に晒すことを潔しとしない。だから迷いなく結果に賭けることができる。しかし僕は違う。失敗する瞬間を皆に見せて笑われることこそが僕のゲームに対するスタンスなのである。勝ちに徹する才能と覚悟がない以上、ぼくは負けることを楽しまなければならない。
13時34分、ついに電車は三軒茶屋に着いた。ドアが開く。はやる気持ちを抑えて、混雑を避けるようにホームに最後に降りる。何かの拍子にボタンを押してしまうとも限らない。そして、人の波を外側から追い抜くように階段を駆け上がる。ゲームボーイをしっかりと握りしめて体の脇のところで固定する。反対の手で切符を探し、速度を落とさず改札を駆け抜ける。切符売り場の前の人混みを縫うように小走りし、出口へと続くスロープを走る。階段が見えてくる。気持ちを落ち着けるように、ペースを落としながら階段を上がる。空が見えた。雨だ。ふざけんなよ、と笑いだしそうになる。
空はどんよりと曇り、いままさにパラパラとわずかな雨粒を落とし始めたようだ。乾いた歩道がそれを物語る。本降りになるにはまだ間があるだろう。しかし、途中で降り出したら? ゲームボーイをバッグに入れるのは論外だ。タクシーを拾おうか。と考える。しかし、通りを渡ってタクシーを拾うことを具体的に考えた瞬間、僕は編集部に向けて走り出していた。最終的にどちらが安全で早いかという合理的な考えよりも、とにかく、少しでもそこへ近づくという行為が僕を動かした。
走る。額に汗が滲み始める。不安と興奮が交互に訪れる中、僕は世田谷通りを全力疾走していた。
知った人とすれ違わなきゃいいな、と僕は思った。何しろ、いい歳した大人が小雨の中、半笑いでゲームボーイ片手に突っ走っているのだ。そう思ったらよけいおかしくなってくる。
徐々に足が疲れてきて、速度を落とす。歩きながら、たかが2、3分急いだところで結果は変わんないよな、と思い直す。しかしゲームボーイに目をやり、そこにケーシィの姿を確認すると、ついまた走り出してしまう。たぶん電池はまだ持つ。雨も強くなる気配はない。わかっていても勝手に足が動き出してしまう。おそらく13時45分ごろ、僕は汗ばみながら編集部のドアを開ける。
誰かいないか。誰がいるのか。入り口からすぐの席に小野さんがいた。
小野さんは『ポケモン金・銀』が発売になるずっとまえから本誌で『ポケモン』の記事を担当している人だ。前作から情熱的にやり込んでいることは言うまでもない。
「小野さん小野さん」と叫びながら、僕は三軒茶屋からずっと体の脇に固定していたゲームボーイをそのまま小野さんの前に差し出す。小野さんは瞬時に理解し「あっ、見つけたんですか」と答える。とりあえずこれがそうなのかどうか確認してもらおうとするが『ポケモン』に精通している小野さんをもってしてもそれが単体で色が違うかどうかを見分けることはできない。「星は光りましたか」と小野さんが聞く。
僕はそのときの様子をできるだけ詳しく話す。白っぽい線が、丸い円を描き、星がキラリ。
「あっ、それですかそれです」と小野さんがうれしそうに言う。小野さんの話では、たしかにレアポケモンが登場するとき丸く円を描き、星が光るのだそうだ。間違いない。僕は井出さんからの情報で”星を纏う”ことは知っていたが”線が丸く円を描く”ことは知らなかった。見間違いではなかったのだ。ようやく僕は確信が持てた。このケーシィはレアポケモンだ。
僕は編集部を回り『ポケモン』関係者に声をかける。間々田を見つけた。それを見せ、告げる。編集部に波紋が広がる。豊田が近寄ってくる。小原が怪訝そうに覗き込み。暗くなったゲームボーイのパイロットランプを見た誰かが、電池はまだ大丈夫だと頼もしい助言を与えてくれる。小野さんが自分のゲームボーイでケーシィを出して見比べてくれようとする。天野さんがウロウロしている。タカヒロさんの笑い声がする。
よかった。ようやく僕の不安が溶けていく。もう安心だ。あとはどうなっても大丈夫だ。逃げられても笑われても平気だ。そんなことは、僕はぜんぜんへっちゃらなのだ。
カメラマンが手配され、浜村さんが呼ばれる。さあ、捕獲作戦の始まりだ。いつの間にかギャラリーが僕のまわりを取り囲んでいた。たぶん13時50分ぐらい。
第三章 捕獲 〜ファミ通編集部〜
カメラマンを待つ15分ほどのあいだに、経験豊かなゲーマーたちによる作戦会議が始まる。初手はともかくその後はどうするか。どのタイミングでモンスターボールを使うか。
間々田がモンスターボールはいくつ持ってるか聞いてくる。たしか、スーパーボールが1個と、モンスターボールが8個。「1個かあ」と間々田が苦笑する。それをどこで投げるか。
「スピードボールはないの?」とタカヒロさんが聞く。僕は「それなんですか」と答えて失笑を買う。
だんだん選択肢が絞られてくる。やはり初手は”くろいまなざし”で間違いない。全員一致。
そのあとをどうするか。まず、すぐスーパーボールを投げるパターン。つぎに”さいみんじゅつ”で眠らせてからスーパーボールを投げるパターン。3つ目が眠らせたのち、体力を削ってスーパーボールを投げるパターン。
可能性がもっとも高いのは3つ目だが、スーパーボールを投げるまえに逃げられたら悔やんでも悔やみきれない。
「ゴースで攻撃するのは危険だ」、と誰かが言う。エスパー系であるケーシィに対し、ゴースの攻撃は”こうかは抜群だ!”となってしまうらしい。もちろん僕がそれを知るわけがない。ひとりで勝負しなくてよかった。こっそり僕は胸をなで下ろす。ならば、ゴースを交代させてから体力を削ろう、と誰かが提案する。
すると、交代した場合、”くろいまなざし”の効果が切れるのではないかと誰かが返す。
「ここで逃げられるってオイシイよな」、「そうだ失敗しろ」などと外野から野次が飛び、緊張した場が一瞬和む。
論議が行き詰まってきたころ、小野さんが「ほかのゲームボーイでレベル10のケーシィとレベル16のゴースを用意してシミュレーションしてみてはどうか」と提案する。なんという発想だろう。考えることが違うなぁとなかば僕が呆れていると、間々田たちは「それもアリだね」。とうなずいている。自分がゲーマーでないと痛感すると同時に彼等をとても頼もしく思う。
そしてこの雰囲気を、僕は一度前に味わったことがあった。『ドラクエモンスターズ』の出版社対抗戦だ。
彼らが夜を徹して作ったモンスターをつれて、僕は週刊ファミ通の代表選手として大会に出た。彼等が育成を極め、理論を高めれば高めるほど、僕はプレッシャーを感じると同時に言いようのない高揚感を覚えてワクワクした。
騒ぎが大きくなるにつれて、たんなる思いつきがイベントとして盛り上がっていき、だんだん興奮していくなんともいえないあの感覚。勝つための苦労を厭わない彼らと、負けを晒すことが苦にならない僕のコラボレーション。あの感覚をまた味わえるなんて夢にも思わなかった。
おそらく14時5分ごろ、カメラマンが現れてセッティングを始める。
そこへようやく浜村さんが現れた。あいかわらずエンターテイナーだな、と僕は愉快になる。こういうとき、浜村さんが間をハズした記憶が僕にはない。必ず、舞台が整ってちょっと焦れたあたりに、いかにも満を持してという感じで現れる。これもまた天性なのだろう。近づいてくる浜村さんは、何か企んでいる笑顔をしている。
こういうときは何かあるのだ。笑顔のボスは歩きながら、背中に回した手をさっと前に出す。手には封筒が握られていて、その表にはデカデカとマジックで”賞金”と書いてある。わっと場が沸く。浜村さんが席につき、ギャラリーが移動する。
カメラマンがまずゲームボーイを接写する。その際、画面の明るさを見ようとカメラマンが無造作にゲームボーイをつかむ。
ふつうに持っただけなのだが、カメラマンはそのケーシィがどういうものであるか知るよしもない。
無意識の動作にゲーマーたちが「あっ」と息を飲む。なかでも、ボスが一瞬ビクッとしたのを僕は見逃さなかった。
浜村さんはすぐに冷静さを取り戻し「それは・・・・・・とっても貴重なものなんだよ」と、まるで子供をたしなめるようにつぶやいた。僕は吹き出しそうになってしまった。編集長として、それ以前に『ポケモン』ファンとして、この騒ぎの言い出しっぺである浜村さんは誰よりもそのケーシィを欲しているのだろう。
さあ、いよいよ役者はそろった。愉快なボスが仕組んだ粋な舞台で、最強のゲーマーたちと最高のコラボレーションを演じよう。しかもこの騒ぎの顛末を全国の『ポケモン』ファンが待ち望んでいるのだ。最高じゃないか。
僕のゴースは、僕からのコマンドをじっと待っている。僕は「”くろいきり”でいいんだよな?」と間々田に確認する。間々田は一瞬ギョッとして「永田さん、”くろいきり”は『ドラクエモンスターズ』ですよ」と答える。
緊張から爆笑に転じるギャラリー。そうだ、”くろいまなざし”だった。
その野次に押されるように、僕は”くろいまなざし”をコマンドする。もしもケーシィのほうが速ければ、つぎの瞬間ケーシィはテレポートしてこの騒ぎはあっという間に終了する。全員の目が、ゲームボーイカラーの小さな液晶に注がれる。静寂。
”ゴースのくろいまなざし! てきの ケーシィは もうにげられない!”
「よし!」。僕は拳を握り、ギャラリーからものすごい歓声が上がる。さっき野次を飛ばしていた長田もガッツポーズしてる。こういうとき、うちの編集部の結束は固い。第一関門突破。さあ、議論だ。スーパーボールを使うか、眠らせるか、ほかのモンスターに交代させるか。
ゲーマーたちの出した結論は、”さいみんじゅつ”だった。僕はうなずき、コマンドする。逃げられる可能性は低くなったが、”さいみんじゅつ”はすぐに決まるものではない。僕は慎重にコマンドし、再び、液晶に視線が集まる。
”ゴースのさいみんじゅつ! てきの ケーシィは ねむってしまった!”
「眠ったよ・・・・・・」。僕は思わずつぶやいた。
今度はさっきの歓声とは違う、「ぉおおおお!」と低くどよめくような声が上がる。追い詰めた。どうする。
一気にスーパーボールを投げるか。体力を奪いにいくか。さすがにこの議論は容易に結論が出ない。「ポケモン」を深く知らない水間さんまでもが周囲に状況を聞きつつ議論に参加する。意見がまとまるまでのあいだにと、僕は主人公のバッグをチェックした。そして僕は驚いて大声を上げてしまった。「2個あるよ、スーパーボール!」
平素から僕がよくやる凡ミスにギャラリーから野次が飛ぶ。しかし今回はそれがいいように出た。
スーパーボールが2個あるなら話は早い。とりあえずここで投げて失敗したら体力を削りにいく。全員の意見が一致した。
僕はスーパーボールを選び、サブウインドバーの”つかう”にカーソルを合わせ、慎重に、決定ボタンを押した。
固唾をのむギャラリー。スーパーボールが転がり、ケーシィの体を包み込み。問題はこのあとだ。小刻みに揺れるボールが止まったのち、煙とともにケーシィが再び姿を現せば捕獲は失敗。ボールの色が変わり再びボールが動かなければ成功だ。ケーシィをとらえたスーパーボールが揺れ始める。右、左、右・・・・・・。だんだん揺れが小さくなる。
そして、ついに止まる。どっちだ。スーパーボールから、スッと色が抜けた。
そして二度と動くことはなかった。捕獲成功。
それを確認した瞬間、僕は両の拳を突き上げて、言葉にならない叫び声を上げた。ギャラリーから、ほかの階まで響くかのような大歓声が上がる。そして拍手。誰かが何か叫んでいる。
非日常的な達成感がこみ上げる。こめかみを血が走る。そのときの僕の感情を表すとしたら、つぎの言葉以外には考えられない。いまこそ、僕は強くそう思うことが出来た。
”ゲットだぜ!”と。
やがて長田たちが「なんだよ成功かよ」などと言いながら席に引き上げる。必要なとき以外は無駄に結束しないのもうちの編集部のいいところだ。大イベントを見逃して悔しそうな大宮さんに報告を済ませ、喫煙室で一服するいろんな人からいろんな質問責めに合う。得意げに僕は答える。歓喜の瞬間を共有し合う。とても楽しい。
だいたいそれが、14時15分ごろ。
そして僕は、徐々に理解し始める。たとえば小学生のまわりに、こういうドラマが多かれ少なかれあるのだとすれば、それは楽しいに決まってる。クラス中がこれをやってるとしたら、インターフェイスに些細な不満を感じてるひまなどない。そんなやつは娯楽を楽しむセンスがないとさえいえる。珍しいポケモンをつかまえたくなるに決まっている。
魔力、という言葉を僕は思い出す。ゲームに昔の魔力がなくなったと多くの人が言う。僕もよくそう口にする。
進化したグラフィックが想像力を阻んだのだろうとか、斬新なルールが出尽くしてしまったのだろうとか、いろんな要因が語られる。それは、正しいことかもしれない。
だが、大切なことをひとつ忘れている。魔力とは、ゲームから与えられるものではない。ゲームから僕らがつかみ取っていくものなのだ。プレイヤーが想像力と、遊び心と、仲間どうしのコミュニケーションによって、ゲームから能動的につかみ取っていくものなのだ。初めてゲームに触れたときのキラキラするようなあの感覚。夢中になって遊んで時間を忘れた日々。批評し、回顧し、もっともらしく今のゲームを嘆いてみせる僕らは、進化したグラフィックを鑑賞することや親切すぎるゲームに慣れることによって少しずつ麻痺し、そんな当たり前のことを少しずつ忘れてしまったのだろう。
45分間の疾走。僕がゲットしたのはケーシィだけではなかった。どうか僕らが、当たり前の日々から自分の奇跡をつかみ取る能力を退化させていきませんように。
禁煙室から見上げる三軒茶屋の空。降り出すかに思えた雨は止み、雲はゆっくりと西へ流れていった。
(出典:ファミ通 1999年 12/31日号)
このページを作るに当たって、下の2ちゃんねるスレッドから文章を抜粋&修正しました。